永遠の命

今日まで客人が遠方より私のところへ心のトレーニングに来られていたので、昨日は水泳に行けませんでした。今日も東京在住のアメリカ人の方で私のブログのファンの方が昼間来られます。今日も水泳は無理そうですね。もしかしたら今晩仕事が終わってから行けるかも知れません。思うように水泳ができなくても、これはこれで大変楽しい事です。私の中では「こうしなければいけない」というものが歳をとるにつれて減ってきたように思います。

老齢になるにつれて頑固になる人も多いですが、「こうでなければいけない」というものが減っていくと、頑固にはならないですね。頑固になって人に嫌われて損をするのは本人だけで、損と気付かずに頑固になるのですから、人生として考えると大変もったいない話です。もちろん真理に照らし合わせて守らなければならないものもありますが、大概の頑固爺とか頑固婆さんが守ろうとしているものは、どうでも良いことが多いです。

それはともかく、今日の朝、密教の合掌瞑想をしていると、「ああ、命というのは永遠に続いているのだなぁ」という事が実感できてとっても嬉しかったのと共に安心できました。今まで禅で「一生は死んだら終わり」と教えられて来たのでちょっとしんどいところもありましたが、それはお釈迦様が説いた真理ではないなという事が良く実感できますね。前にもブログに書きましたが、その時は正しいと思っていても、間違ったことを私は人に教えて来たなと思い、嬉しいと同時に本当に申し訳なく思いました。

この一生というのは綿々と続いてきている「命」の一場面なのです。私たちの細胞一つ一つに自分のお父さん、お母さん、また自分の先祖からの命がつながっているし宿っているのですね。私たちが「生まれる」と言っているのは、エネルギーというか、縁起があって原子、細胞が人間の形を形成して、この世の一場面に登場することを「生まれる」と言っているのです。まあ宇宙で言えばビッグバンのようなものです。

そして死ぬというのは、その原子や細胞を人間の形につなぎとめていたエネルギーもしくは縁が減少していって、そして最後は消滅して人間の形を成さなくなることです。しかし、その縁ができるまで、または消滅してからでも「命」というものは綿々と続いているのですね。お釈迦様が輪廻転生と言っているのがよく分かります。だから「命」というもの自体はず~と存在し続けているもので、厳密に言えば生まれることも無く、死ぬことも無いのです。思い込みではなくて、こういう実感が持てる合掌瞑想というのは本当に凄いなと思うのです。

禅も含めて、中国を経て今の日本に伝わっている仏教というのはお釈迦様のオリジナルな教えからすると相当違ったものになっていますが、中村和尚から教えて貰ったこの瞑想法は、オリジナルのお釈迦様が得た感覚に近いものだと思います。なるほどこれだったら多くの人が救われるし、実際の生活の中でも今までと随分違う事が起こるようになるのもうなずけます。大体「死んだら無に帰る。一回こっきりの人生」などという事自体が輪廻転生をもとにして説いたお釈迦様の悟りとはかけ離れたものなのですね。

ただ人間の実感として、また物証として輪廻転生というのは確認しようがないので、お釈迦様の没後2500年の間に途中で自分が納得しやすいように変えてきたのだと思います。でもやはり真理は真理、有るものは誰がどう言おうと有るのです。形はは変わるだけで命は続きます。これが私が得た実感で、やっとお釈迦様の教えが腑に落ちました。こうなると人間の心というのは本当に強くなりますね。世の中一般で起こる大概の事は、まあ大したことではなくなります。振り返ってみて、「なぜ今までこんなことを不安に思い、悩んできたのだろう」と首をかしげたくなります。それこそ毎日が「日々好日」となってそれが日々の生活の中で実感できるようになりました。

これは私の中で天動説が地動説に変わったようなコペルニクス的変換でした。中世のキリスト教会のように古いものに固執する人は「証拠は?」とか「科学的根拠は?」とか「歴史的には」とか色々フニャ~と言うのでしょうが、まあもう少し量子物理学や宇宙物理学が進むと分かることでしょう。今やっとパラレル宇宙理論などが出てきたところですからね。私が得た実感は、そのうち人類全体にも科学が進んで天が回っているのではなく地球が回っているのだと分かったように分かることと思います。

生きているうちにこのような実感が持てるのは素晴らしい事ですね。これからの人生が本当に楽しみになります。ただ自分だけ「分かった。分かった」とぶっ飛んでいてもしょうがないので、多くの人がこれを実感できるようにしていくのも私の使命だと思います。かじった程度では分からないかも知れませんが、すでに今までちゃんと合掌瞑想を実践して、これを体感した人はほんの数週間、数か月でみんな確実に人生が良い方に変わっています。

それは分かることにより得られる心の平穏と、それが作り出す脳を含めた体の活性化が人生を良い方に変えていくのだと思います。まあ当たり前の話で、心が平穏な人と、心が不安な人とどちらが人生をより良く変えていく事ができるでしょうか?と聞けば答えは心が平穏な方になるのです。明日死んでも文句は無い人生ですが、私は一日でも長く活き活き生きてこの法を一人でも多くの人に伝えていきたいと思います。ああ、なんと素晴らしい人生でしょう!生きているのは本当に素晴らしいですね。
合掌

仏光

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