死んでからが連休

今週はまだ月曜日しか泳いでいないので、今日の夜泳ぎに行くことにします。今は夏休みで昼間は子供達でいっぱいです。だからまだ空いている夜に泳ぐことにしました。一日働いた後に泳ぐのは結構気持ちのいいものです。夜もぐっすり寝ることができます。頭ばかりを使っていると、夜も頭がぐるぐる回転してゆっくり寝られないという人も居られますが、そういう人は体も使う事をされたら良いと思います。結構熟睡できますよ。

夜ゆっくり寝ることは大切ですね。私は今日曜日も社団法人の仕事で働いているので、世間でいう休みというものはありません。「よく毎日働いて平気ですね」と聞かれるのですが、全然平気ですね。法人の仕事は私が一番やりたかったことだし、それで多くの人が元気になっていくので、結果を見ていると本当に幸せな気持ちになります。それぞれの会員の人達は、世間での生活、心の状態をを一旦横に置いて、その場は真摯に心のトレーニングをします。その後は楽しく話し合ったりして、みんなでその場だけは心を費やすことのない極楽にしようとしているのです。

そういう場に自分を置いていると、心が清浄になっていくのが分かります。だから家でぼんやり休んでいるよりよほど心身が休まりますね。まあ私にとっては、釣りの好きな人が休みの日曜日に釣りに行くのと同じです。とても良い休日の過ごし方だと思っています。こういうことが始めることができて良かったなと思います。この幸せの場がどんどん広がるよう願っています。これからウェブサイトなどを整えていきますので、皆さんにも来月には内容をお伝えすることができると思います。

人の心というのは本当に不思議なものですね。神や仏のように清らかな心もあれば、悪魔のような心もあります。考えてみると悪魔のような心の部分の根底にあるのは、やはり自我や欲ですね。これを少なくしていくことで神仏のような優しい心が表に出てくるのだと思います。一日24時間そのような優しい心で過ごせればよいのですが、なかなかそのようには行きません。だから取りあえず時間を区切って、「この間だけは仏のような心で過ごす」という事をしているのです。

時間を区切ると人間というのは結構何でもできるものです。だから「今日一日だけは怒らないようにしよう」とか、「今日一日だけはニコニコして過ごそう」と思えば案外できるのですね。一生死ぬまでそうして下さいと言われると「それはできない」になりますが、「今日一日だけは…」となるとできるのです。そしてまた次の日に「今日一日だけは…」と始めればよいのですね。社団法人も心のトレーニングを日曜日の朝9時から12時までと時間を限定しているので、3時間ならみんなで極楽を作ることができます。

普段何だかんだとある日常の生活の中で、日曜日の午前中だけでも心休まる場や空間があることは本当に大切なことだと私は思います。私の場合は日曜日の午前中以外でも心穏やかに過ごす時間がずいぶん増えましたが、初めて来られる方はそのような経験を通して、普段でも心休まる時間が増えていくものと思います。これはそこに居る仲間との穏やかな心のきずながそのようにさせていくのですね。

お釈迦様が言うように「人生は苦」だと私も思います。それは何もしないでただ人生や世間一般に流されていると「苦」になるのですが、お釈迦様は人生は苦であると言うのと同時に八正道という、その人生の苦から抜け出す方法も説いておられます。だから八正道に沿って、何か自分にできることをできることから始めると本来苦である人生が少しずつでも苦ではなくなっていくのですね。私は死ぬまでこのような活動をして、私も自分で人生も苦から自分を救っていきたいと思っているのです。

神仏というものがどこか宇宙の果てに居るのではなくて、自分の中に眠っていることに、きちっとした心のトレーニングを続けると気が付きます。そこに気が付くと自分の中に眠っている神仏が起きてきて色々自分を助けてくれるようになるのですね。神仏と言っても神仏のような優しい心の事かも知れませんね。このような事を気づかせる禅の公案もあります。密教の心のトレーニングはもっとダイレクトにその事に気付かせてくれます。昨日の朝早く、雷雨の中で一人合掌瞑想法をしていたら、「天の啓示か?」と思うほどはっきりとその事に気付き自覚することができました。

禅の公案を通って、「自分が仏である」という事はとっくに分かっていましたが、やはりまだどこかまだ大脳の言葉や観念でそのように思い込んでいるところもあったと思います。しかし昨日の朝の気づきは今までとははるかに違うものでした。もっとダイレクトに心にドッカーンとやって来ました。やはり正しいトレーニングをちゃんと続けているとこのような大切な事に気付くのですね。

それから心は晴れ晴れとしましたね。本当にありがたい事です。これだけは「今日一日」だけではなく、ずっと死ぬまで守り続けていきたいと思います。そのためにも毎日の精進ですね。こんな面白い事をしているので、やはり私には日曜日に休んでいる暇など無いかも知れません。まあ私の休みは死んでから始まる連休ですね。

合掌

仏光

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